稲津招魂社

稲津招魂社
 昭和27年4月、第二次世界大戦終結。サンフランシスコ講和条約発効を契機に、大東亜戦争に殉職された稲津村出身の軍人・軍属及び殉難者を永久にお慰めしようと、稲津村の村民の真心により、稲津招魂社を建立。
 昭和29年岐阜県知事を迎え、日清戦争以後、国難に尊い命を捧げられた145柱の鎮魂祭が執行されました。
 その後、毎月御祭神の遺族等の奉仕により、月次祭が行われ、4月29日の例祭には町内の崇敬者が真水一合を神前に供え、社前の鎮魂碑と埴輪の像にそれぞれ祭神を偲び、末期の真水を捧げ献水祭を行い慰霊に務めています。

奥宮
本殿裏

奥宮
 拝殿右側の赤鳥居を進み上り坂に並んだ赤鳥居抜けると林の中に奥宮が鎮座しています。
  奥宮御神体 稲荷神社奥宮・津島神社奥宮・稲荷大明神
*奥宮向かう途中、本殿裏に、最も稲荷大神さま御神体に近い場所に小さな鳥居があります。ぜひ奥宮参拝の際、こちらもご参拝ください。なお本殿の下に四角の切り込みがあり、お狐さまお使者がお入りになる入口だろうというお話もあります。

大皿『瑞祥』

大皿『瑞祥』
 平成8年(1996)製作、直径2.8m、高さ30cm、重さ1,220kg構想から完成まで1年8カ月、作業時間は10カ月を費やし延べ150人の地元の方々の労力によって造りあげられ、約1200度で1週間かけて焼き上げた世界一(ギネス認定)の大皿です。
 大皿の名称『瑞祥』は、元瑞浪市長の高嶋芳男氏が命名しました。直径10cmのリンゴを1mの高さに積み上げると約7000個のリンゴを盛ることができます。


製造工程

①発泡スチロールを何段にも積み重ねて直径3mの大皿の型を作る。
②原料の陶土は、焼成中のひび割れを防ぐため特殊な繊維を混ぜ土練機にかけて、成土を作る。
③よく練り上がった成土をスチールの型に入れ十数人の足でよく踏み込み空気を抜いて皿の厚さを整えていく。(成型)
④成型された皿の表面を滑らかにして、5ヵ月かけて乾燥させる。
⑤乾燥された皿に、梅花の絵付け。葦で作った巨大な筆で描きあげる。
(絵柄は藍色の呉須(ゴス)で描き、花を添えて描きあげる。)
⑥その上に釉薬を吹き掛け、更に乾燥させる。
⑦いよいよ焼成!!瓦の焼成用トンネル窯で焼成。
(1170℃の温度で1週間かけて焼きあげる。

 平成7年11月 粘土の調合・型作り開始
 平成8年8月  焼成・窯出し・完成
 平成8年10月 稲津町文化祭にて初披

ふるさと稲津いきいき会
〒509-6102 岐阜県瑞浪市稲津町萩原319-2 荷機稲荷神社地内
入り口の鍵は稲荷温泉まで(水曜定休 事前に電話すれば貸出可能


十遍舎一九

三代目十遍舎一九書 碑
 三代目十遍舎一九については、木下闇緑林→作者:三代十返舎一九出版:嘉永5年(1852)となっており、初代1831年没後になります。
お弟子さんなのかは、不明。花押は初代と同じです。
 以下は初代十遍舎一九についてになります。
 十遍舎一九は、弥次さん・喜多さんで有名な「東海道中膝栗毛」の作者として知られていますが、もともとは武士でした。駿府府中(静岡)の下級武士の子として生まれ、若いころ江戸に出て、小田切土佐守につかえ、土佐守が大坂町奉行になったのにしたがい大坂へ行き、のち武家奉公をやめたといわれています。
大坂で、近松余七の名で浄瑠璃作者となったあと、再び江戸に出て、出版業者蔦屋重三郎の食客となって仕事を手伝ううちに、戯作の道に入りました。
寛政7年(1795)に3作の黄表紙を刊行したのを手始めに、以後多くの黄表紙、洒落本などを刊行、なかでも享和2年(1802)に初編を出した「膝栗毛」は、十返舎一九も版元も予想しない好評を得、その後シリーズ化されるに及んで、文名は年ごとにあがり、山東京伝、曲亭馬琴に続き、式亭三馬と並ぶ戯作者としての世評を確立するにいたったのです。
「東海道中膝栗毛」によって日本第一の流行作家になった十返舎一九は、原稿料だけで生活を維持できた最初の職業作家でしたが、その誕生の背景には、貸本屋を通じた一般大衆読者の増加と、交通制度の整備による庶民の旅の隆盛があったことも見逃せません。

 歌碑の意味
「此か美の利生も日々に熟荷機かのふ弥かひにうまみこそあれ」
此の荷機稲荷神社の御利益は、日ごとに熟し願いは叶い御利益、幸せを戴ける。初っ掛け、チャンスになるでしょう。

 *碑に願掛け触ればご利益をいただけるかもしれません。
 

 

境内施設番外編 境内隣接する稲荷温泉 ←詳細はここクリック
 昭和感漂うレトロ感満載の温泉、神社境内まで引き込み薪で炊いて、なんとかけ流し!古くは泊まれる宿でしたが時代の変遷。入浴温泉として営業されています。
由来
 元亀3年(1572年)から天正3年(1575年)にかけて美濃国恵那郡にあった岩村城織田氏武田氏から奪還するため城を攻めた際に兵士の休息のためにこの温泉を利用したとされる。
効能
 泉質:弱放射能令鉱泉 泉温:20.5度(ボイラ-で加温し源泉かけ流し)
 温泉効能は、地元民湧き出た冷泉を汲んでた事もあり(アトピー)皮膚病緩和など効能は折り紙付きです。
昭和レトロな温泉入浴し心身リフレッシュ後、神社御参拝よろしくお願いいたします。